大阪城

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今年の家族旅行は大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)。
桜が満開のこの季節、大阪城へも行ってみました。
が・・・お花見客で人だらけ、大阪城のエレベーターも長蛇の列。
結局8階まで階段で昇ることになりました。

現在の大阪城天守閣は3代目です。
もともと大阪本願寺のあったこの地に、豊臣秀吉が初代大阪城を築城しました。
大阪夏の陣により豊臣家とともに消えてしまいましたが、徳川幕府第2代将軍秀忠により再築されます。
しかしこれも、ほどなく落雷により失われてしまいました。
その後昭和6年に大阪市民の募金により現在の姿となったそうです。

さて、8階展望台から大阪市内を眺めます。
ちょうど大阪旅行にあわせて読んだ、万城目学「プリンセス・トヨトミ」のクライマックスシーンの舞台が目の前に広がります。(大阪府庁、大阪府警など)
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下の階にはさまざまな展示がされています。
大阪夏の陣図屏風(複製)がすばらしく、その解説VTRをずっと観てしまいました。
実物大の金の鯱や伏虎のレプリカの展示もありました。
あまりに盛りだくさんの内容に加え、この人ごみで皆少々バテ気味です。
外に出ましょう・・・。

大阪城の石垣は江戸幕府の再築時にすべて作り直されたものだそうです。
幕府の権威のもと、諸藩に作らせました。
石に刻まれた印により、どの藩がその場所を担当したのかが判ります。
城内一の大きさを誇る、蛸石の前でお約束のポーズです。
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ところで、大阪城天守閣はゴモラに粉々に壊されてたので(ウルトラマン第27話)、現在のは4代目なんでしょうか・・・。
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恵比須神

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浜名湖七福神、まずは応賀寺に恵比寿様を訪ねました。

応賀寺は浜名郡新居町にある真言宗の寺です。
聖武天皇の勅願寺として行基菩薩により開かれました。

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その名は弘法大師の伝説に由来します。
大師が諸国巡りの際、浜名湖を渡っていると、強風により湖上で遭難しました。
その時遠くに一条の光が輝き、これを目指して漕ぎ進むと無事岸に着いたそうです。
この光が、応賀寺の御本尊、薬師如来の光背であったと伝えられています。
大師はたいそう喜び、ここを「光る鏡の山 喜びに応ずる寺」として鏡光山応賀寺と名付けたそうです。
応賀寺は浜名湖競艇場の橋を渡った浜名湖西岸にあります。
東海道あたりから潮に流されて漂着しそうな場所で、なんとなく現実味のする話ですね。

山門をくぐり、そのまま奥に進むと、薬師如来を納めた薬師堂(県指定文化財)があります。

恵比寿様は門のすぐ脇の建物にひっそりと佇んでおられました。
こじんまりとしていますが、金色にひかり輝く像です。
下ぶくれの豪快な笑い顔で、脇に立派な鯛を抱え、いかにもめでたそう。

さっそく、宝印帳に朱印をいただきました。

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浜名湖七福神

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おめでたい神様として七福神がありますね。
七柱の神様が宝船にのった姿を良く目にします。
中日新聞のサンデー版に特集記事があり、ちょっと興味がわいてきました。

室町時代からの経済発展とともに庶民の信仰として広まり始めました。
七柱の神様の構成もそれぞれの時代によって異なっていたそうです。
国学の影響で日本の神様だけにすべきだと唱えられたり、
もう1柱追加され、八福神だったこともあったそうです。
現在の七福神としては、江戸時代前半に定着。
顔ぶれは以下の通りです。

恵比寿
大黒天
毘沙門天
弁財天
寿老人
福禄寿
布袋尊

弁財天がアメノウズメノミコトであったり、寿老人が吉祥天であった時代もあったようです。

最近さまざまな地域で、この七福神を祀った七つのお寺を、ウォーキングを兼ねて訪れるという、七福神めぐりが流行っているようです。
このあたりでもないのかなと探してみると、浜名湖七福神なるものを見つけました。
浜名湖周辺の七つのお寺をめぐるもので、事務局が浜松市内の信貴山内にあります。
そして七つのお寺は以下の通り。

布袋尊   大福寺(北区三ケ日町)
大黒天   摩訶耶寺(北区三ヶ日町)
寿老人   長楽寺(北区細江町)
福禄寿   岩水寺(浜北区)
恵比寿   応賀寺(新居町)
弁財天   鴨江寺(中区)
毘沙門天  遠州信貴山(中区)

今年は、この浜名湖七福神を制覇してみようと思っています。

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浜名湖七福神のパンフレットと宝印帳。訪れた都度この宝印帳に朱印をいただく。

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天白神社と豊臣秀吉

Toyotomi5 浜松市南区に頭陀寺町という場所があります。
仕事の都合で、その町内の幹線道路から細い細いわき道に入ると、こじんまりとした神社がありました。
鳥居に神社の名はありませんが、その足元に豊臣秀吉の名が刻まれた石碑があります。
興味を持って近づいてみました。

その石碑には「豊臣秀吉鎌研池」とあります。
そういえば、豊臣秀吉はかつて世に出る前、この遠州の頭陀寺城主、松下嘉兵衛之綱のもとで奉公していたという話を思い出しました。
その名残がこの神社に残っているようです。

鳥居をくぐり、かなりひなびた建物の前に立つと「天白神社」とあります。(瓦の落下に注意とも・・・。)
この神社については境内の案内板に、天文2年(1533年)に松下嘉兵衛之綱の守護神として祭祀されたとあるだけで、祭神など詳しいことはよくわかりません。

さて「豊臣秀吉鎌研池」ですが、先の案内板に、松下嘉兵衛に仕えていた時の事として、次のようにあります。

「この時、馬草を刈るのに池はたで鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになったという話が「遠州七不思議」の一つとして残されている。」

神社の本殿の脇には、この片葉の葦の由来の地として鎌研池があるんです。

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池といっても水は枯れ、とても小さなものですが・・・。
かつてはこの辺り一帯が葦の生えた大きな池だったのでしょう。
そこで、確かに秀吉が過ごしていた時期があったんですね。
天下統一への第一歩がこんなに身近にあったとは驚きです。

秀吉と家康という天下人が、ともにこの浜松に縁があったんですね。

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お先真っ暗

ジュビロ0-2アルビレックス

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まったく見せ場のない試合でした。写真のちびっ子チアリーダーぐらいでしょうか・・・。

前半1点リードされていながら、こんなに時間の経過が遅く感じたことは初めてです。
そのぐらい、まったりとした内容だったのです。

センターバックは矢野との競り合いに押されっぱなしで、見事に起点にされていました。
矢野のキープから二列目のランニングが迫力満点で何度も決定機を作られました。
ジュビロのツートップには良いボールが入らず苦戦。
唯一のミッションである前田のゴールも、まったく期待できませんでした。

西の不在は大きかったか。
普段スタメンではない、松浦、金沢、成岡あたりがやはりフィットしていない気がしました。
そしてまた、村井に替えて船谷・・・、村井の方が起点になれるような・・・・。
チームは降格がなくなって、来期へのテストという面もあるのだろうか。
ツートップ頼みの攻撃、キーマンの西の不在でまったくグズグズになってしまうこの薄っぺらなチーム状態といったら何なんでしょう。
これから先、ジュビロを担っていくべき人たちの現状を見せられ、頭がクラクラしてきました。

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永平寺

Eiheijiシルバーウイークに福井へ出かけました。
高速道路も整備され、日本海も遠くないなと実感しました。
しかし朝5時に16Kmの渋滞には驚きました。

さて、福井にて永平寺を訪れました。
永平寺は曹洞宗の大本山です。
曹洞宗の開祖、道元禅師によって開かれました。
福井市内からほど近い山の中にあります。

永平寺の境内はかなりの広さです。
山の斜面に沿って、山門・中雀門・仏殿・法堂とせり上がるように連なっています。
中雀門から法堂の方を見上げると、なんともすばらしい雰囲気です。

曹洞宗は鎌倉時代に生まれた禅宗です。
この地でたくさんの僧侶たちが修行に励んできたことでしょう。
現在も全国各地から集まった僧侶たちの修行の場となっています。

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豊川稲荷

Toyokawainari1 我が家の夏の定番スポットに、愛知県豊川市の「ぎょぎょランド」があります。
水遊びのできる水の広場があり、子供たちは大満足です。

そのすぐそばに商売繁盛で有名な豊川稲荷があります。
子供たちのブーイングにめげずに足を運びます。

豊川稲荷ですから朱色の鳥居を想像していたので、総門に着くとおやっと思いました。鳥居が無いのです。
門をくぐると係のおじさんが解説してくれました。

豊川稲荷は実は、豊川閣妙厳寺という曹洞宗のお寺なんだそうです。

室町時代1441年に開山の際、妙厳寺の鎮守として豊川だ枳尼真天(とよかわだきにしんてん。”だ”の字が変換できません。)を祀りました。
妙厳寺開創の東海義易禅師のお師匠さんの寒巌義伊禅師が宋から帰国する際、稲穂をかかえ、白狐にまたがる御霊神が現れたそうです。
稲にキツネとはまさにお稲荷さんですね。
このように豊川だ枳尼真天がお稲荷さんと結びついて、豊川稲荷と呼ばれるようになったそうです。
京都伏見の稲荷大社とは別物のようです。
しかし、豊川稲荷は三大稲荷の一つに数えられていたような・・・。

Toyokawainari2_2 境内には、法堂と鳥居が並ぶように見えます。
そして、鳥居をくぐり奥へ進むと立派な本堂があります。
こちらでは大きなキツネが狛犬のように我々を迎えますが、その奥の本堂からはお経を読む声が聞こえてきます。

さらに奥へと進むと、商売繁盛の赤いのぼりが無数に並んでいたり、ものすごい数のキツネが並べられていたりと、まさに稲荷神社の様相です。

Toyokawainari3 商売繁盛、正月には初詣で大勢の人で賑わう豊川稲荷。
きっと、除夜の鐘を聞きながら、神社へ初詣気分も味わえるんでしょう。
神仏習合、ぎっしり詰まって、楽しめました。

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第2回 八幡さま

八百万の神々、第2回は八幡さまです。
「八幡製鉄所」や高校野球の名門の「八幡大附属高校」から、なんとなく九州地方の神様なんだと思ってはいましたが・・・。

誉田別命(ほんだわけのみこと)

別称:応神天皇
御利益:文武の神
主な神社:総本宮=宇佐神宮(大分県)、岩清水八幡宮(京都府)、鶴岡八幡宮(神奈川県)、気比神社(福井県)など

八幡様は応神天皇なんだそうです。

記紀の系譜によると

ヤマトタケル-仲哀天皇
           ∥
           ∥-応神天皇-仁徳天皇
           ∥
         神功皇后

ヤマトタケルの孫で、仁徳天皇の父親です。

母親の神功皇后は、記紀において朝鮮半島の新羅を攻めたという記述があります。
その時お腹にいたのが応神天皇です。
帰国するまで出産を無理やり延ばして、帰国後、九州、筑紫で生まれました。
その後、大和の地へ移り、神功皇后亡き後即位します。

八幡神社では、応神天皇とともに神功皇后や仲哀天皇が祀られていることが多いようです。

応神天皇が八幡様となった経緯については明らかではありませんが、宇佐八幡宮の社伝では、欽明天皇の時代に誉田別命が八幡神として現れたとされています。

聖武天皇の奈良の大仏建立時に、八幡神が協力するとの託宣があったそうです。
仏教との結びつきも強く、八幡大菩薩として全国のお寺の守護神となりました。

称徳天皇が寵愛する道鏡を天皇としようとしたとき、八幡神の託宣により和気清麻呂がこれを阻止したという、宇佐八幡宮神託事件もありました。

鎌倉時代には、源氏の氏神として鶴岡八幡宮を中心に武士のあいだでも広がっていきました。

現在、全国に3万とも4万ともいわれるほどの八幡神社があり、稲荷神社に次いで第2位です。

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応神天皇とともに神功皇后が祀られている(浜松八幡宮)

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奥山半僧坊(方広寺)

Hansoubou1 我が家の菩提寺は、実家から10分ほどの所にある、臨済宗方広寺派のお寺です。
昔からこのお寺のことを「半僧坊(はんそうぼう)」と呼んでいました。
お寺の名前ではなさそうです。
半僧坊とはいったい何でしょう、今さらながら疑問がわいてきました。

方広寺派の大本山がこの浜松市の北部、引佐町奥山にあります。
なにか分かるかもしれません。
車で1時間ほどかけて訪れてみました。

Photo方広寺は1371年、後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師によって開山されたそうです。
そういえば、同じく引佐町にある井伊谷宮も後醍醐天皇の皇子である宗良親王を祀っていますが、なにか関係があるんでしょうか?

奥山という名前の通りずいぶん山の奥にありますが、山の斜面を切り開いた敷地に所狭しと建物が並びます。
境内の至るところに、小さな石仏像が置かれています。
これは五百羅漢(ごひゃくらかん)といって、信者より奉納されたもののようです。
巨大な本堂には釈迦三尊像が収められており、本堂の背後の斜面の階段を上るとお釈迦様の歯の一部(!)が収められた舎利殿があります。

そして、本堂と並ぶようにして半僧坊真殿という建物がありました。
ここには半僧坊大権現をお祀りしてあるそうです。
方広寺開山の無文元選禅師が中国から帰国する際、海上で遭難しそうになった時に助けてくれたのが半僧坊なんだそうです。
以来、当山の鎮守として、また諸願成就の祈願所として知られるようになったようです。

方広寺の鎮守としての半僧坊大権現。
半僧坊の方が神社のように祈願所として一般に親しまれていたのでしょう。
方広寺=半僧坊という呼称が定着していったようです。
臨済宗は禅宗です。
修行で悟りを開くよりも、祈願して神様に頼る方が早いということでしょうか。

とりあえず疑問も解決し、すっきりした気分で参拝しました。

我がご先祖様も、半僧坊大権現様に守られてきたのです。
宗派の大本山がこんなに近くにあるんですから、きちんとご奉仕しなければなりませんね。

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お稲荷さん

神社に祀られている神様をまとめてみたいと思います。
第1回はお稲荷さん。

宇迦之御魂神(うかのみかたのかみ)

別称:稲荷神、倉稲塊命(うかのみたまのみこと)
御利益:五穀豊穣、諸産業繁栄

記紀においてはあまり活躍ありません。
古事記ではスサノオの子とされますが、どんな神様かはわかりません。
日本書紀では、イザナギ、イザナミの国生みのあと、いろいろな神を生むなかで食物神として登場します。
イザナミが火の神カグツチを生んで火傷を負い死んでしまう前のシーンです。

この神様がお稲荷さんと結びついたのは、お稲荷さんも食(穀物)の神だからです。

お稲荷さんのルーツは、奈良時代、渡来系の秦氏の氏神として京都伏見に祀られたことによります。
また、秦氏が繁栄していくなかで諸々の産業発展の神という性格も持つようになったようです。

その後、商売の神様として江戸時代にはその信仰が全国に広がります。
現在、稲荷神社は全国に3万以上もあるそうです。
その総本社は京都の伏見稲荷。千本鳥居が有名です。

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稲荷神社らしい朱色の鳥居が重なる様子(黒田神社:浜松市中区) Komainu_3

稲荷神社には狛犬の代わりに狐が置かれる(分器稲荷神社:浜松市中区)

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